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7月, 2018の投稿を表示しています

文字ってのは、なかなか遺ってしまうものだ

ビジネス本は実は最近発行されたものが一番良い。 ビジネス関係の本は、ものすごくたくさんのものが発刊されては本屋で売れる。そして回転も早い。 本当にいろいろな切り口の本が出る。一度あたったビジネス本は、ジャンルとして認知されて、そういうものによく似た感じの文体や章立てで色んな本が刊行される。 表紙を似させてくるという技法もある。 ビジネス本をたくさん読むと、本当に役に立つ本というものは少ない。『何千冊もの本を読んでのエッセンス~』的な本があるということは、大事なエッセンスは圧縮が聞いてしまうのだ。一冊一冊の大事な部分というのはかなり絞られてしまうということである。 これは人間の悩みのタネが物理的に少ないとも言える。簡単に言えば、金や人間関係、その他諸々である。よく聞く話とも言える。全世界の中で、「自分だけが悩んでいるのだろうな?!」と思ったことは、実は人類2000年位の歴史の中で誰かは思ってしまっているということだ。いろいろな哲学の巨人や偉大な宗教家がさまざまな場面でさまざまに役立つことは刊行されてしまっている。 ではその大量に刊行された本たちはどこが違うのか。これは読者の想定が変わってくる。時代や風俗、価値観は変わる。 人間は、問題を他人事として考えると非常に冷静に考えられるが、行動には移さない。逆に、自分のこととして問題を受け取ると、熱中してしまうあまりに最善の策をとれないこともあるが、行動をするようになる。 ビジネス本で大事なのは、「自分のことが書かれている!」と思わせる主人公における問題提起。そして、熱中していながらも「最善の策を取らせる」という部分なのだ。行動に移すかどうかは読者に委ねるしかないが、本の章立てでいうと第一章と第二章の辺にあたる。 出口汪さんの本、新潮文庫で出ていたので買ってしまう。 本屋で考えていると、ついつい出版の歴史について考えてしまう。 つまり人間は文字を生み出してしまった。自分が死んだあとも、かなり詳細にのこるツールを生み出してしまったということだ。 世界史というのは、そのような文字や物品の証拠をいろいろ集めてみましたという学問である。 世界史という学問において、私が高校生の時に無意識的に考えてしまっていたことがある。「過去の人達...

日本サッカー

サッカーを見る目 サッカーのワールドカップが始まって、なかなか日本が盛り上がっている。 昭和生まれの人達は、そもそも学校にサッカー部がなかったという人もいるのではないだろうか? サッカーの起源を調べると、1863年のイングランドに遡る。それからはいろいろあって、1990年代に各国のプロリーグ制がきっちりと現代的なものになっている。 日本もJリーグができて、サッカーが一気に市民権を得て、子供の頃からサッカーを部活として楽しんだ人は多い。部活もできて、部活として頑張っている人も多い。 しかし、サッカーをどのようなスポーツであるかというメタ的な勉強をしたことがない人がどれくらいいるのだろうか? これだけ巨額が動くプロ同士のスポーツとしても、裾野が広い生涯スポーツとしての側面もあるサッカーである。様々な人が研究しただろう。戦術や戦略。トレーニング方法やチームの運営方法まで様々な多岐にわたる部分で研究されているはずだろう。 プレイヤーとしてのサッカー プレイヤーとしては、非常に 国技とはなにか こどもがプロになりたいと思うスポーツは、国技として認めていいのではないか? だから、アンケートの過去数年の平均に準ずるのが理論的には妥当な気がする。中学生くらいまでの子供のアンケートで一位のスポーツが国技だ。おそらく。 数年間で変わると思われる。日本だと野球、サッカーなどが順順にブームが巡ってきて、それらが国技を持ち回りするだろう。 特例としては、すでにプロリーグが国内にしかない場合である。日本で言えば、大相撲がそれにあたる。もはや「保存すべき文化」に近い。 野球とサッカー 野球はかなり研究されているスポーツだ。数字のスポーツと言ってもいい。恐ろしいほど成績が数字で出る。 近年のMLBはセイバーメトリクスや経済学の理論を応用しまくって、「お得な選手」はいないかとGMが頑張っている。このへんの文化は映画『マネー・ボール』に詳しい。 サッカーはものすごい年俸が高い選手がいる。しかしながら良さというか、成績というか、その選手がいれば絶対に優勝できる選手がいるということもない。世界基準がよくわからない。そのチームに必要と思われなければいけないのだが、野球のように9回の攻撃チャンスのうちに確実に一回...

最近気になること

アイヌ紋様浴衣問題 アイヌの紋様を適当につかった浴衣を売ろうとしたゴフクヤサン・ドットコム。 それを見つけたjingさんが「文化の盗用。度し難い。和人はアイヌを侵略した。侵略者として、アイヌの紋様を盗って使うことは駄目なことである。マジョリティはマイノリティを大事に扱わなければならない」ということで、販売することの差し止めを請求する。 ゴフクヤサン・ドットコムは販売を差し止める。 私はこの「文化の盗用」という言葉の便利さに非常に気になっている。どのような事になっても、言い出しっぺの責任を無限に請求できてしまうからだ。実態がないような気がする。 あと文化の完全な盗用というのは、今の時代は異常に難しい。Googleで検索をかければ、いろいろな人の話が出てきてしまうのだ。元ネタというのは本当に難しい。インターネットに元ネタがないという問題もあるだろうけど、本当にむずかしい。 あと、文化というのはあるものが変わらずにずっとひとつの共同体で行われていく様式のことであるとすると、ちょっと違うような気もする。文化は、疫病のようなものであって、人を媒介にして膾炙していくものだ。そのためなら時代に合わせて変容もするしどこから来てどこへ行くのか表現しづらいものがある。 あと他国の文化と融合したり、パクりパクられで発展してしまう面もある。 正しい文化というのは、教科書に書いてある病気のようなもので、複雑系のうちの一つの変数を取り出したようなものだ。 紋様にすべてがあるということが許されるのであれば、アレンジは許されない。 文化の担い手というのは、いつ許されるのであろうか?血なのだろうか?共同体の中で暮らして少しずつ覚えていって…とあるが、一生勉強なのかもしれない。 紋様の種類で個人の特定ができた。だから保存しなければという言葉もあるが、これはプロ野球選手のバッティングフォームのようなものだ。 イチロー選手や落合選手のシルエットを見て「さすがプロ野球選手」という人はいい。とはいえフォームをみて誰も言い当てられないような選手でもプロ野球選手でもあったという人もいるのではないか。 アイヌの服は刺繍が思い思いにされていた。生活に根ざしたものに、あまりに芸術文化としての一面を押し出しすぎるものよくない。 文化というのは、なかなか割...